甲州街道

人やものが行き交い発展した道

江戸から下諏訪まで53里2町余り、甲斐国を東から北西に貫く道、甲州街道。甲斐国に置かれた25の宿場を中心に、多くの人、もの、情報が行き交い発展し続けた。今も受け継がれる伝統と圧巻の景観を全身で感じる旅が、ここに始まる。
甲州街道は江戸幕府によって整備された五街道の一つ。江戸日本橋から中山道の下諏訪宿までを結ぶ53里2町余り(約205キロメートル)の街道です。
この間に45の宿場がおかれ、甲斐国には25の宿場があり、参勤交代では主に高島藩諏訪家、高遠藩内藤家、飯田藩堀家の3藩が甲州街道を利用しました。甲斐国が幕府直轄地となってからは甲府城の警衛にあたる武士らも往来するようになります。
当初は、万一に備える重要な軍用路として整備された道でした。そのため、宿場町の出入り口付近や甲府城東側には、二手に分かれる道やほぼ直角に曲がる道があります。これらは宿場町や城下町に入るにあたって、相手を錯乱させたり、見通しを悪くして敵の攻撃を防御する役割があったといわれています。
江戸時代の中・後期になると、天下泰平の時代と共に旅人や文化人が行き交ったほか、甲州・信州から江戸へ農産物を運ぶ流通の道としての役割も重要になりました。甲州街道には、宿場を拠点に江戸との交流による文化が育まれ、行き交う旅人たちと楽しんだ娯楽や芸能も含めて、いまもその痕跡が継承されています。一方で、貧しかったゆえに近隣の村どうしが協力して宿場を運営した合宿といった制度や、大きな被害をもたらした水害からの復興には、人々の協働の歴史がみられます。甲州街道最大の難所といわれた笹子峠を超えて甲府盆地にはいると、ブドウやモモ、柿などの甲州八珍果を栽培する独特の風景や、のちに果物栽培が盛んになった土台の一つである扇状地や河岸段丘地形などの景観も目にすることができます。
今日はどのコースにする?

宿場の面影を巡る上野原四宿と下鳥沢宿・上鳥沢宿コース_上野原宿散策コース

相模国から桂川を渡り諏訪番所で厳しい取り締まりを通過すると、甲斐国最初の宿場である上野原宿に到着します。養蚕と織物業が盛んであったこの地では、商家が軒を連ね、毎月1と6が付く日には市が開かれたといいます。現在も賑わいは変わらず、酒饅頭を蒸す香りやレトロな食堂や商店が旅人を迎えてくれます。道道を脇にそれて上野原城跡や中央自動車道沿いを歩いた後、JR上野原駅に戻る簡易なルートでも往時の面影に少しばかり触れることができます。
距離 : 約9km / 所要時間 : 約3〜4時間 / 徒歩・自転車

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宿場の面影を巡る上野原四宿と下鳥沢宿・上鳥沢宿コース_六宿踏破コース

上野原駅から上野原宿、さらに旧道をたどって鶴川を越え鶴川宿へ。ここでは村のほとんどが宿屋を経営していたといい、街道筋にはその名残がみられます。その先の野田尻宿は、旧宿場町の面影を今も色濃くとどめています。宿場町の出入り口付近を歩くとほぼ直角に曲がる道に出会いますが、見通しを悪くして敵の攻撃を防御する役割だったといわれています。葛飾北斎や歌川広重の浮世絵で知られる犬目宿、甲斐国にはいって最初に富士山を眺めることのできる場所です。そこから南に下ると、趣ある家々が立ち並ぶ下鳥沢宿と上鳥沢宿が見えてきます。各宿場の佇まいを比べたり、途中の一里塚や古戦場の痕跡などを確認しながら、旧甲州街道探訪を楽しむことができるでしょう。
距離 : 約25km / 所要時間 : 約7時間 / 徒歩・自転車・自動車

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名画に描かれた道を往く下鳥沢宿から猿橋宿コース

犬目宿を越えて下っていくと、当時の面影を残す宿場が見えてきます。この下鳥沢宿は、続く上鳥沢宿と分担して宿場を運営していました。かつては上鳥沢宿が1日から15日までを、下鳥沢宿が毎月15日から晦日までを担当して行き交う人々をもてなしていました。上鳥沢宿から少し歩くと見えてくるのが猿橋です。日本三奇橋であるこの橋は、橋脚を使用せず両岸から張り出した四層のはね木で支えられているという珍しい構造で、古くから景勝地として名高く、歌川広重の『甲陽猿橋之図』に描かれています。猿橋を渡ると猿橋宿に入ります。高所に架けられた猿橋と、桂川のつくり出した景観は、街道を行く多くの人々を魅了してきました。今も猿橋から繋がる遊歩道でこの景観が見られます。また、大月市郷土資料館では、猿橋の構造や往時の宿場町のようすを知ることができます。
距離 : 約5km / 所要時間 : 約4時間 / 徒歩

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協働で旅人を支えた笹子三宿コース

笹子峠の手前にはわずか7キロメートルほどの間に白野宿・阿弥陀道宿・黒野田宿の3つの小さな宿場町が続きます。これら笹子の3宿は宿継の業務を交代して果たす合宿(あいしゅく)で、小さい宿場でしたがそれぞれに本陣がありました。笹子峠越えを控えた旅人たちに追分の人形芝居を演じたといわれ、いまも継承活動が続けられています。旧道の静かな町並みに沿ってときおりみられる石碑などに注目したり、神社の境内で佇んだりしながら、ゆったりとした散策が楽しめます。
距離 : 約10km / 所要時間 : 約3〜4時間 / 徒歩

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甲州街道随一の難所・笹子峠越えコース

標高1,096メートルを超える笹子峠の道のりは非常に厳しく、甲州街道最大の難所と呼ばれていました。峠の途中にある矢立の杉は、戦国時代に武士たちが必勝を祈願して矢を放ったことが由来といわれており、その寛大な姿から往時の著名な浮世絵師に描かれるほどでした。笹子峠越えの甲州街道は歴史の道百選(文化庁)に選定されており、道々に往時の面影が残されています。また、峠を越えて駒飼宿や鶴瀬宿で、かつての宿場の名残にふれながら散策を楽しむことができます。
距離 : 約17km / 所要時間 : 約6〜7時間 / 徒歩

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ブドウ畑と水が織りなす歴史と文化的景観があふれる勝沼宿コース

勝沼宿は甲州盆地の東の玄関口として発展しました。往時は多くの旅人が訪れ、特産のブドウや加工品の販売などで大変賑わい、荻生徂徠は『峡中紀行』に「人家多く繁盛なるところ甲州街道で一番也」と記したほどです。峡東一帯に大きな被害をもたらした明治40年の大水害では、河岸段丘上の水田が流されましたが、畑地が復活すると、商品作物として有望なブドウ栽培が始まる契機となりました。ワイン醸造の発達や鉄道の開通、観光農園の展開など、様々な要素が重なりあい、勝沼宿はブドウとワインの町として発展していきます。大善寺のあたりから甲州街道に沿って西に進むと、歴史的建造物に隣接し奥深く広がるブドウ畑などの往時の風景や、沿道の観光農園の賑わいを楽しむことができます。南側の日川の方向に目を向けると、まさに勝沼の歴史と文化を支えてきたことを誇示するかのようなブドウ畑が一面に広がる圧倒的な景観を望むことになるでしょう。
距離 : 約4km / 所要時間 : 約3〜4時間 / 徒歩

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モモ畑と歴史が紡ぐ栗原宿コース

栗原宿は、古くは栗原氏の統治のもと栄えた地域で、今もその名残とみられる寺院が多く残っています。また、甲州街道を通って甲府での歌舞伎公演に向かう役者の影響から、村歌舞伎が形成された地域でもあります。明治40年の大水害の影響で、今は往時の町並みは見ることができませんが、モモ畑と寺院が織りなす風景を見ることができます。
距離 : 約3km / 所要時間 : 約3時間 / 徒歩・自転車

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水とともに伝統と生活を育む石和宿コース

石和宿は、南に延びる鎌倉街道、南西にむかう市川道の分岐であり、笛吹川を通じて富士川水運へ連絡する船着場もおかれたことから、甲州盆地東部の交通の要衝として開けていました。甲州街道が通った江戸時代になると政治・経済の中心は甲府に移りましたが、八田家書院のような江戸初期の風情を伝える建物も残されており、風情を感じることができます。笛吹川と石和川に挟まれた低地にあったため、古くから幾度となく水害に見舞われ、土砂に覆われた歴史があります。鵜飼川と呼ばれていた現在の笛吹川は、幾度にもわたって氾濫し、人々に水害をもたらし、町の様子を一変させています。
笛吹川の名前の由来には、水害の悲哀を語る伝説が隠されています。この伝説や謡曲「鵜飼」にゆかりのある伝説を楽しむことができます。現在の笛吹川の遊歩道からは、周囲に連なる山々に谷筋が通り、甲府盆地に川が流れ込んで作られたお手本のような複数の扇状地を遠望することができます。
距離 : 約7km / 所要時間 : 約3時間 / 徒歩・自転車

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商業で賑わい芸術が彩る甲府柳町宿コース

甲府柳町宿は、甲府城下町に置かれた宿場で、多くの商人や、市川團十郎や歌川広重などの芸能人・芸術家で賑わった宿場です。この宿場の周辺には、魚町、桶屋町、鍛治町など、職人らが集まる通りがあり、現在もその地の名前として継承されています。また、武家地や町人地を囲ったお堀と土塁の名残が所々に見られます。粋を好む江戸の洒落者たちに愛好された印伝や海のない甲斐国で海産物を楽しもうと生まれた煮貝など、江戸時代の情報誌『甲府買物独案内』に掲載されているお店で、今も当時の名物を手に入れることができます。
距離 : 約4km / 所要時間 : 約3時間 / 徒歩・自転車

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時代を越えて継承される町づくりの息吹・韮崎宿コース

韮崎宿は、佐久往還と駿信往還(西郡路)に分岐する交通の要衝であり、人馬が盛んに往来する宿場として繁栄しました。特に釜無川の水運からの荷揚げ地界隈は、馬で荷物を運ぶ中馬で賑わいました。
その一方で、道沿いを流れる釜無川に翻弄された宿場でもありました。甲州街道を釜無川側に入った路地には、釜無川の氾濫から街を守るための古い堤防の痕跡があります。また、民家の間を当時の川の流れに沿って蛇行する脇道が複数走っており、それらの道筋は「水神」という地名が残る白髯神社方面を向いています。
 間口税を安価に抑えるための細長い町割りが今も残り、商いを始める敷居が低い小さな物件が多いため、甲州街道と佐久往還に沿った現在の通りには、新しい事業に取り組む若者たちが集い始めています。「ひと」、「もの」、そして情報の交流拠点であり、商いをする気運に満ちた場所であったことが現代まで引き継がれ、今も更新され続ける「現役の宿場」です。
距離 : 約3km / 所要時間 : 約1.5時間 / 徒歩

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往時の面影残す白砂と名水の台ケ原宿コース

台ケ原宿は、釜無川・尾白川が交わる地点の上流にあります。ここは、甲斐駒ヶ岳から尾白川が運ぶ、真っ白な石英質の砂が積もった扇状地で、2つの川に削られて河岸段丘状になっています。甲斐駒ヶ岳の花崗岩質の地層で濾過された水は、米や酒を作るのに適しています。
 将軍用のお茶を京都から運ぶ「御茶壺道中」の宿として使用された荒尾田中神社や、明治天皇巡幸地の行在所(あんざいしょ、天皇の宿泊地)がある北原家住宅などの格式ある場所を始めとして、沿道には古い町屋や蔵などが点在し、往時の面影が偲ばれます。
距離 : 約6.5km / 所要時間 : 約3.5時間 / 徒歩

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