秩父往還

甲斐のサムライ文化を辿る道

豊かな地景に抱かれた煙霞の峠道、秩父往還。そこには甲斐国を駆けた甲斐源氏・武田氏の足跡と、彼らサムライたちが庇護し伝えた歴史文化が刻まれている。
秩父往還は、甲斐国と武蔵国、現在の山梨県と埼玉県秩父市を結ぶ歴史の道です。県境で雁坂峠を越えることから雁坂口・雁坂路とも呼ばれていました。その道筋は国道140号に重なる部分が多く、山梨県内では愛称「雁坂みち」が併記された国道標識を見つけることができます。
甲府市側の出発点、山崎三叉路から山梨市の小原西交差点までは、青梅街道との重複区間です。笛吹市までは山裾を緩やかに進む秩父往還ですが、山梨市に入ると笛吹川沿いに北上しつつ、奥秩父山塊に向かって標高を上げていきます。その最高地点である雁坂峠は、かつては「上下八里ノ間人戸ナシ、険隘ニシテ牛馬通ゼズ(上下八里に人家はない。道は険しく狭いため、牛馬は通行できない)」という難所としても知られました。
古くは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が酒折宮からこの道を辿り、秩父方面に東征したとの伝説が残されています。中世には沿線に、のろしによる通信のための烽火台が置かれるなど、軍事的役割が高まりました。近世以降には「ひと」や「もの」が行き交う道のほか、甲斐からは三峯神社や秩父観音霊場へ、秩父からは身延山・富士山・伊勢へと向かう信仰の道にもなりました。平地と山岳をつなぎ、様々な時代の足跡が刻まれた秩父往還の周辺には、奥深い自然と歴史が息づいています。

用語解説

■本道、間道、裏街道
秩父往還にはメインルートである本道の途中に、バリエーションルートである間道が存在する。本道が笛吹川の左岸側を進むのに対して、間道は別田三叉路で本道から分岐して笛吹川の右岸を進み、一之橋の上流、山梨市三富上柚木で合流する。また甲府市の武田神社(旧 躑躅が崎館)から太良峠、古峠を越え、赤芝集落を経て秩父往還に合流するルートは、秩父裏街道(秩父口横往還、西保海道)と呼ばれた。
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信時流武田氏 甲斐府中への道

武田信玄「まで」の三百年 甲斐国を駆けた武田家の足跡を辿る

甲斐国守護・武田信玄の直接の祖は、甲斐武田家第7代当主の武田信時(1220 - 1289年)とされ、その系譜は「信時流武田氏」とも称されます。秩父往還の沿線には信時流武田氏に関わりの深いスポットが幾つも分布し、信虎 - 信玄 - 勝頼に連なる一族の潮流を辿ることができます。
武力・権力を争う支配者であると同時に、寺社の庇護者であり信仰の実践者でもあった信時流武田氏のサムライたちは、この地に様々な文化と歴史を遺しました。一族に関わりの深い寺社、あるいは居館の痕跡から、彼らは現在の甲州市、山梨市、笛吹市、甲府市を活動の中心とし、また時代の経過と勢力の伸張に伴って、その重心を徐々に西へと移していったことが伺えます。時を越えて一族の足跡つなぐのが、この地を東西に貫く歴史の道、秩父往還です。
距離 : 約40km / 所要時間 : 約7時間 / マイカーまたはレンタカー利用

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右はきわら左やはた ここが遠路の分かれ道

石和から春日居へ 道に名付けられた町を目指す

笛吹市の別田三叉路、現在の柳橋交差点の一角には石造りの三界萬霊塔が遺されており、そこには「右はきわら道、左やはた道」と刻まれています。「萩原道」は大菩薩峠への道中で萩原(甲州市)を通過する青梅街道の別名、「八幡道」は旧八幡村(山梨市)を通過する秩父往還間道の別名であり、ここが秩父往還本道(青梅街道と並行)と間道の分岐点であったことが分かります。
この一帯の地名「別田」の由来について、江戸時代末期に編纂された甲斐国の地誌『甲斐国志』は「分かれ路があったので、この地を別田と呼ぶようになった」と伝えています。道に名付けられた町であった別田周辺には、道標や道祖神が幾つも残されています。山裾の道を辿って寺社を巡りつつ、かつての交通の要衝を目指してみませんか。春には一面に広がる桃の花が、すばらしい景色を見せてくれることでしょう。道中の岩下温泉には日帰り入浴が可能な温泉があるほか、石和温泉駅には足湯も併設されています。
距離 : 約11.5km(レンタサイクル利用の場合)約8.3km(徒歩の場合) / 所要時間 : 約6時間(レンタサイクル利用の場合)約7時間(徒歩の場合) /

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塩山松里 歴史の道を育てた水の路

笛吹川から水を導くセギの知恵と、豊かな水に支えられた文化・暮らしを見つめる

国指定名勝である恵林寺庭園は、後に京都の龍安寺庭園、西芳寺(苔寺)庭園を作庭する禅僧、夢窓疎石56歳当時の作とされ、甲斐国内で造営された寺院庭園に大きな影響を与えました。700年の時を経た壮麗な築山と池泉が、四季折々の魅力を伝えてくれます。この池に湛えられた水は、どこからやって来るのでしょうか。甲州では用水路を「セギ(堰)」と呼びますが、ここ塩山地域には笛吹川から取水する3本(藤木、小屋敷、井尻)のセギが縦横に張り巡らされ、河岸段丘上の土地に豊かな水を供給しています。恵林寺庭園に用いられる水も、小屋敷セギから取水されたものです。
セギは塩山地域にすだれ状の水路網を形成し、水路の両脇に農家が建ち並ぶなど、この地の景観を形作る骨格となっています。その水は人々の生活・生業を支えるだけでなく、庭園に代表される寺社文化の成立基盤ともなりました。
距離 : 約13km / 所要時間 : 約7時間 / 電動レンタサイクル利用

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秩父裏街道と夢窓疎石の足跡を辿る道

「石立僧」夢窓疎石の原点 煙霞の街道奥深くへと分け入る

室町時代、足利将軍家からの崇敬を受けた臨済宗の禅僧、夢窓疎石は、この地域で幼少期を過ごし、長じて後には山中で行を修めたと伝えられています。恵林寺の山号にもなっている乾徳山(山梨市)は夢窓疎石の修行場であったとされ、喉を潤した水場と言われる銀晶水、錦晶水や、座禅石が残っています。また、かつて山梨市牧丘町にあった浄居寺は、夢窓疎石が初めて開いた寺と伝えられています。
この他にも、秩父往還沿線とその周辺には、夢窓疎石の足跡を幾つも認めることができます。夢窓派僧たちの祖として弟子に連なる者一万人と言われ、七人の天皇・上皇から国師号を贈られるなど、中世日本史の展開に深く関わった夢窓疎石は、自らを「煙霞之癖(雲や霞、山水の景色に執着し、深く自然を愛する心)」と評する「石立僧」でもありました。その原点は、夢窓疎石が山野に遊び、行を修めた甲斐の地にあったのかもしれません。
このコースでは夢窓疎石の事跡が残る寺院のほか、この地域を拠点とした甲斐源氏、安田義定にゆかりのスポットを巡りつつ、秩父裏街道の懐深くまで脚を伸ばします。
距離 : 約40km / 所要時間 : 約6時間 / マイカーまたはレンタカー利用

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秩父往還縦断 全道ダイジェストコース

笛吹川とともに、奥秩父山塊への峠道を駆け上がる

甲府市の山崎三叉路から県境を跨ぐ雁坂トンネルの手前まで、標高差およそ1,000mを駆け上がり、山梨県内の秩父往還全道を踏破するコースです。
沿線各所にさまざまな魅力をもつ資源が分布していますが、とりわけ山梨市の一之橋より北の山間部には、雄大な滝の間近に迫る一之釜、山深く分け入る大嶽山那賀都神社、武田伝令隊ゆかりの彫刻が残る吉祥寺など、豊かな水と緑に抱かれた秩父往還の素顔を知ることができるでしょう。徳和渓谷や西沢渓谷でのトレッキングや、さらには乾徳山、甲武信ヶ岳、鶏冠山、雁坂嶺への本格的な登山も可能です。
自動車であっても日帰りでの踏破は難しい、長距離のコースとなります。石和温泉、塩山温泉、岩下温泉、川浦温泉など、沿線での投宿をぜひご検討ください。関心のあるスポットをアラカルトで巡るのもおすすめです。
距離 : 約60km / 所要時間 : 1日以上 / マイカーまたはレンタカー

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