ブドウで栄えた大規模な宿場町

江戸方面から見て鶴瀬宿の次の宿で、1618(元和4)年に甲州街道の新規宿駅として発足し、甲府盆地の東の玄関口として発展してきました。本陣が1軒、脇本陣 が1軒、旅籠が23軒もある大規模な宿でした。
往時の勝沼宿の姿を、荻生徂徠は『峡中紀行』で「人家多く繁盛なるところ甲州街道で一番也」と記しています。また、ブドウで栄える勝沼宿をみて松木珪琳が「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」の句を残すほど、江戸時代からよく知られていた宿場町でした。
さかのぼって戦国時代には武田信玄の父である信虎の弟、勝沼信友が居を構えており(史跡勝沼氏館跡)、この地域は武田氏の甲斐戦略においても重要な拠点であったとされます。この館から放射状に街道以前の古道が伸びている様子がわかります。
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勝沼宿とブドウ: 江戸時代の勝沼宿にとってブドウは、観光商品でした。甲州街道を通って勝沼宿を訪れる旅人に対し生のブドウだけでなく、干しブドウやブドウ漬けなどの加工品も販売しており、大人気だったといわれています。
仮名垣魯文の『身延参詣 甲州道中 膝栗毛』でも、勝沼宿でブドウの土産を買おうとする弥次郎兵衛と北八の姿が描かれています。

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