明治天皇駐蹕碑(めいじてんのうちゅうひつひ)

明治40年の大水害で活躍した志村勘兵衛ゆかりの地

明治13年の明治天皇巡幸における駐蹕を記念して志村勘兵衛が、自宅の敷地内に建てた碑です。志村家は峡東地方(甲府盆地東側※主に山梨市、甲州市、笛吹市のことをいう)きっての日川村の豪商で、勘兵衛はその長男として明治7年に生まれ、弱冠26歳で志村銀行を開業した人物です。
明治40年の大水害(山梨県において明治40年8月21日の夜から26日にかけて降り続けた大雨による水害)の際、活躍したことで知られています。この大水害では日川村が流され、勘兵衛自身も大きな被害を受け、明治天皇から下賜された家宝・御紋付銀杯、琥珀縮緬三匹などを逸失してしまいました。自身もこうした窮状にありながら、勘兵衛は被害にあった人々の救助や飲料水・食糧支援に励んだそうです。その後、侍従日野西資博が明治天皇の命を受けて県内の視察に訪れた際に、勘兵衛の救助、支援活動が高く評価され、再度御紋付銀杯が下賜されました。
志村家の屋敷跡が山梨県聖蹟となり、山梨市がその土地を継承したことから、この碑の傍らには「志村勘兵衛頌徳碑」が建っています。また、日川警察官駐在所のすぐそばには、当時の志村勘兵衛の住宅位置を示す「明治天皇日川御小休所跡碑」が建っています。

COURSE MAP

次のスポットへ行ってみよう!