田安陣屋跡(たやすじんやあと)

田安家による甲斐国統治の拠点

陣屋とは、江戸幕府の地方行政の拠点で、支配地における代官や旗本の役所や屋敷を指します。徳川吉宗の二男、田安宗武は、1746(延享3)年に甲斐・武蔵・下総・和泉・摂津・播磨の6カ国・十万石を与えられました。
この陣屋は、その翌年の1747(延享4)年に置かれ、以後1870(明治3)年までの間、甲斐国の田安領統治の中心となりました。甲斐国は山梨郡28村・八代郡35村の計63村からなり、当初の石高は3万4千石でした。
現在、この陣屋跡は山梨市の指定史跡となっており、西側の一部に堀が残るほか、北東の隅の石積の上には守護神の水上稲荷社が祀られています。
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田安宗武: 1715(正徳5)年に江戸幕府八代将軍・徳川吉宗の二男として生まれ、学問に優れていたので国学者や歌人としても活躍しました。徳川家の九代将軍は長男家重が継ぎ、宗武は1731(享保16)年に田安家を創設しました。田安家は一橋家、清水家と並び、徳川家の親族である「御三卿」として知られています。

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水とともに伝統と生活を育む石和宿コース

石和宿は、南に延びる鎌倉街道、南西にむかう市川道の分岐であり、笛吹川を通じて富士川水運へ連絡する船着場もおかれたことから、甲州盆地東部の交通の要衝として開けていました。甲州街道が通った江戸時代になると政治・経済の中心は甲府に移りましたが、八田家書院のような江戸初期の風情を伝える建物も残されており、風情を感じることができます。笛吹川と石和川に挟まれた低地にあったため、古くから幾度となく水害に見舞われ、土砂に覆われた歴史があります。鵜飼川と呼ばれていた現在の笛吹川は、幾度にもわたって氾濫し、人々に水害をもたらし、町の様子を一変させています。
笛吹川の名前の由来には、水害の悲哀を語る伝説が隠されています。この伝説や謡曲「鵜飼」にゆかりのある伝説を楽しむことができます。現在の笛吹川の遊歩道からは、周囲に連なる山々に谷筋が通り、甲府盆地に川が流れ込んで作られたお手本のような複数の扇状地を遠望することができます。
約7km / 約3時間 / 徒歩・自転車

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