甲斐国最初の一里塚

一里塚は日本橋を起点とする五街道の一里(約4㎞)ごとの目印で、徳川幕府の時代に街道の両側に土を盛って作られました。旅人が距離を測ったり、人夫や馬を借りる際の駄賃の目安とされました。
この一里塚は上野原の塚場地区にある疱瘡神社の裏手に立ち、日本橋からの距離は十八里、甲州街道で18番目の塚に当たります。
塚場の「塚」は古墳を意味し、この地区に古墳がたくさんあったことを示しています。
もっと知りたい
・一里塚の上にはエノキやマツ、ケヤキなどの木が植えられ、旅人が日差しを避けて木陰で一休みしたり、雨宿りの場として役立った。塚場一里塚には、カヤの木が植えられていたとされる。

COURSE MAP

次のスポットへ行ってみよう!