織物の商いで賑わった宿場町

甲州街道沿いにある上野原宿は相模国相州(現在の神奈川県)から入って甲斐国最初の宿場町でした。江戸時代の1742(寛保2)年から1907(明治40)年まで、毎月一と六がつく日に市が立ちました。
郡内地域(上野原市、富士吉田市、西桂町、都留市、大月市)の地域の農家は、農耕のかたわら家内工業的に絹や紬を織っていました。このため市では荒物や日用品のほか、こうした織物が集められて盛んに取引され、相州や八王子から多くの仲買人が訪れて賑わいを見せました。
上野原宿は数回の大火に見舞われましたが、今も甲州街道沿いの商店街には蔵が残るなど宿場町の面影があり、「金仏横丁」や「稲荷横丁」などの当時の通り名も残されています。
もっと知りたい
・甲州の中でも郡内地域は山地が多く、農耕地が狭いため農業生産力が低かった。そこで農家のおかみさん達は織物に精を出し、地域特産の「郡内織」が生まれた。産地としては都留や大月が有名だが、江戸時代に郡内地域で織の市が行われていたのは唯一、上野原宿だけだった。
・上野原宿を訪れた浮世絵師の歌川(安藤)広重は、「筬音響く町」と書き残している。筬(おさ)とは織機の部品のことで、織物がさかんだった様子が伺える。

COURSE MAP

次のスポットへ行ってみよう!