江戸から甲州への玄関口

諏訪は甲州の最東端、相模国相州(現在の神奈川県)との境にある集落で、甲斐国に出入りする人や物の取り締まりを行う番所がありました。現在は跡地に看板が立てられています。
設置時期は武田氏が北条氏と争った戦国時代の前期と見られ、合戦時には防備の機能も持っていました。
1707(宝永4)年に諏訪神社の前から東の乙女坂に移転し、近くを流れる境川にちなんで境川番所とも呼ばれていました。江戸時代、この番所を通って江戸へ入るには女性のみ手形が必要でしたが、これは地方都市に派遣された勤番士の妻子が江戸に戻らぬよう、厳しく監視したためとされています。建物は明治18年に渋沢栄一氏が買い取り、東京飛鳥山の本邸に隣接する分園の別荘として移築されました。
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・江戸時代は役人1人と農民1人、明治維新の動乱期には9名の番人と獄舎取締1人が、番所に常時詰めていた。
・1869(明治2)年に番所の役割を終えたが、1880(明治13)年6月に明治天皇が巡幸の旅で山梨県を訪れた時には休息所、お召替え場所となった。

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