特殊構造が支える「日本三奇橋」

山口県の「岩国の錦帯橋」、長野県の「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ、日本三奇橋のひとつです。長さ30.9m、幅3.3m、高さ31mで、そびえたつ断崖の両岸から張り出した四層の「はね木」によって支えられ、橋脚を全く使っていない特殊な構造です。
いつこの橋が架けられたのかは定かではありませんが、奈良時代の600年頃、百済からやって来た造園博士の志羅呼(シラコ)が、沢山の猿が連なって岸へ渡っていく姿にヒントを得て、それまで難航していた橋の建設に成功したと伝えられています。
江戸時代に入ってから架け替えが9回行われ、現在の猿橋は1851(嘉永4)年の資料を基に、1984(昭和59)年に忠実に復元されたものです。
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・甲斐国を治めていた武田氏は戦において、たびたび猿橋に陣を張ったという記録が残っているため、この地が軍事的に重要な地であったことが分かる。
・室町時代の僧侶、聖護院門跡道興は1486(文明19)年にこの橋を訪れ、「猿橋とて、川の底千尋に及び侍る上に、三十余丈の橋を渡して侍りけり。此の橋に種々の説あり。昔猿の渡しけるなど里人の申し侍りき」と廻国雑記に記している。
・1842(天保12)年、浮世絵師の歌川広重は甲府に向かう旅の途中で猿橋周辺の景観に感動し、「甲陽猿橋之図」でその姿を描いた。旅日記に以下の言葉を残している。
「鳥沢にて下り猿橋まで行く、道二十六町の間、甲斐の山々遠近連なり、山高くして谷深く、桂川の流れ清麗なり、十歩二十歩行く間にかわる絶景、言語に絶えたり、拙筆に写し難し」

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