勝山城跡(かつやまじょうあと)

富士山と都留市街を見晴らす要塞

桂川の背後にそびえる城山に築かれた山城跡。城山は標高571メートル、周囲3.5キロメートルの独立した山。
江戸時代の地誌『甲斐国志』によると、1594(文禄3)年に郡内領主の浅野氏重が築いたとされていますが、最近の研究では、戦国時代の郡内領主であった小山田氏が谷村へ館を移したときに要害城として築いたと考えられています。小山田氏ののち、戦国時代には鳥居氏、三輪氏、加藤氏、浅野氏、江戸時代には鳥居氏、秋元氏と、戦国時代から江戸時代前期にかけてさまざまな領主が治めました。
江戸時代初期には、将軍家献上用の宇治茶が中山道〜甲州街道〜谷村路(富士道)を経て勝山城の茶蔵に一時保管されたため、谷村路(富士道)は「茶壺路」「茶付け路」とも呼ばれました。
谷村町駅からハイキングで約30分。登山道は桜の名所としても知られるほか、山頂からは都留市の市街地と富士山を見渡すパノラマビューが見事です。
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・郡内領主の変遷:小山田氏が滅びた後、徳川家康と小田原北条氏(後北条氏)との間で争いが起き、甲斐国は家康の領地となって家臣の鳥居元忠が郡内領主となった。天正18(1590)年に豊臣秀吉の命令で家康が関東へ移ると、秀吉は徳川家を抑えるために、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政といった自身の親戚や重臣を甲斐国に配置した。そのため、谷村には三輪近家(秀勝の家臣)、加藤佐内(光泰の家臣)、浅野氏重(長政の家臣)が入った。

<参考資料>
『谷村路-山梨県歴史の道調査報告書第11集』
ミュージアム都留 解説シート
『山梨県歴史の道ガイドブック』(文化財エリア別紹介)P158
「都留市を歩こう!」おさんぽガイドブックつるさんぽ⑦悠久の歴史 お城山を歩く(都留市観光協会)

<参考サイト>
都留市「城山(勝山城跡)」
https://www.city.tsuru.yamanashi.jp/soshiki/sangyo/shoko_t/5/1334.html

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富士山湧水の里:夏狩(なつがり)コース

郡内織を支えた湧水の里、尽きることない湧水に身も心も清められる

国道139号とほぼ重なって南進してきた富士道は、十日市場地区を過ぎると国道を右手に外れて夏狩地区へと向かいます。
環境省の「平成の名水百選」に選定されている「十日市場・夏狩湧水群」は、富士山に降った雨や雪が地下に染み込み、時間をかけて山麓から湧き出す自然の恵み。10か所以上あるポイントから豊富に湧き出る水は、年間を通して約12~13℃の水温を保ち、水かけ菜(みずかけな)やわさびの栽培に利用されているほか、都留市の水道の水源ともなっています。
また、富士山の豊富な水や溶岩は、様々な自然の造形美も生み出しました。無数の滝がシャワーカーテンのように流れ落ちる潜流瀑(せんりゅうばく)や特徴的な奇岩も、富士山がもたらした魅力の一つです。
約3㎞ / 約3時間 / 徒歩

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