豊かなセギの水を用いた土地の資産

大輪を小屋敷セギに直結させた押し車屋です。江戸時代末期に創設後、地域の協同水車として用いられ、戦後は放光寺の管理となりました。明治・大正時代の松里地区には30以上の水車があり、セギの水は用水としてだけでなく、動力としても活用されていたようです。
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藤木セギ:放光寺より東側にある藤木集落内を流れるセギは藤木セギと呼ばれます。この地域で笛吹川から取水する藤木セギ、小屋敷セギ、井尻セギの3本のセギうち、藤木セギはもっとも北側に位置します。藤木セギの末端は小屋敷セギに、小屋敷セギの末端は井尻セギにそれぞれ合流し、地域一帯に豊かな水を供給してきました。

<参考資料>
『歴史の道調査報告書』秩父往還
『甲州市歴史的風致維持向上計画』

<参考サイト>
放光寺 - 西藤木の水車
http://www.hokoji.org/suisya.html

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秩父裏街道と夢窓疎石の足跡を辿る道

「石立僧」夢窓疎石の原点 煙霞の街道奥深くへと分け入る

室町時代、足利将軍家からの崇敬を受けた臨済宗の禅僧、夢窓疎石は、この地域で幼少期を過ごし、長じて後には山中で行を修めたと伝えられています。恵林寺の山号にもなっている乾徳山(山梨市)は夢窓疎石の修行場であったとされ、喉を潤した水場と言われる銀晶水、錦晶水や、座禅石が残っています。また、かつて山梨市牧丘町にあった浄居寺は、夢窓疎石が初めて開いた寺と伝えられています。
この他にも、秩父往還沿線とその周辺には、夢窓疎石の足跡を幾つも認めることができます。夢窓派僧たちの祖として弟子に連なる者一万人と言われ、七人の天皇・上皇から国師号を贈られるなど、中世日本史の展開に深く関わった夢窓疎石は、自らを「煙霞之癖(雲や霞、山水の景色に執着し、深く自然を愛する心)」と評する「石立僧」でもありました。その原点は、夢窓疎石が山野に遊び、行を修めた甲斐の地にあったのかもしれません。
このコースでは夢窓疎石の事跡が残る寺院のほか、この地域を拠点とした甲斐源氏、安田義定にゆかりのスポットを巡りつつ、秩父裏街道の懐深くまで脚を伸ばします。
約40km / 約6時間 / マイカーまたはレンタカー利用

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