要害山(ようがいさん)

武田氏館の要害 信玄生誕伝承地

甲斐国の武将で武田信玄の父、信虎は1519(永正16)年、躑躅が崎に武田家の居館を築きました。その翌年、一族が緊急時に立てこもる詰城として、背後にある海抜約770mの積翠寺に城を築きました。
翌年の1521(大永元)年、駿河勢が大挙して甲府盆地に攻め入った際、懐妊中だった信虎の妻、大井夫人は要害山に逃れ、そこで信玄を出産したと言われています(積翠寺で出産した説もあります)。
信虎の孫、勝頼が新府城(韮崎市)へ移るまでの62年間、信虎・信玄・勝頼の三代にわたり、躑躅が崎の詰城として使用されました。現在は国の史跡に指定され、当時を今に伝える石積などの遺構が比較的良好に残っています。このほか、城内には今も水をたたえ、諏訪明神に立願したことから「諏訪水」と呼ばれる井戸や、武田不動尊の石像、東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生之地」の石碑などがあります。
県道31号沿いの駐車場脇に登山口があり、そこから要害山に登ることができます。山中では曲輪(くるわ)や堅堀(たてぼり)、堀切などの遺構を多く見ることができます。傾斜はやや急ですが、体力に自信のある方は、足元と身支度を整えて登ってみるのも良いでしょう。
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要害山の遺構:要害山には斜面の横への移動を妨げるための竪堀跡や、堀や土塁によって区画された平場である曲輪、防御と攻撃の拠点として石を積んで通路を狭くした門の跡などが複数残っています。城で最も重要な本丸は、山頂部を平坦にならし、土塁をめぐらして作られました。東西約73m、南北約22mの長方形で、庭園に用いられたと思われる大きな石も残っています。ここからは美しい富士山を一望できます。

<参考サイト>
甲府市「要害山」
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/bunkazai/006.html
文化遺産オンライン「要害山」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138304

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