永昌院(えいしょういん)

甲斐武田家16代当主の武田信昌の菩提寺

甲斐武田家16代当主の武田信昌(1447 - 1505年)の菩提寺であり、境内には信昌の墓所が残されています。開基にあたり、信昌(のぶまさ)の従兄弟であり、帝から禅師号を与えられた名僧でもあった一華文英(いっけぶんえい)が迎えられました。往時には甲州から武州にかけて96の末寺を有し、修行所として80人ほどの修行僧が暮らしました。
高台に位置する境内は甲府盆地の眺望に恵まれ、関東富士見百景に指定されています。
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武田信昌:先代当主、武田信守から若くして家督を継いだ武田信昌は、当時守護職である武田氏を横目に守護代として権勢を振るっていた跡部氏と争い、1464(寛正5)年の夕狩沢合戦で当主跡部景家を排斥します。これにより、信昌は甲斐国における武田氏の勢力基盤の回復に成功しました。甲斐武田家を代表する名君と捉えられ、信玄の時代には「昌」の字を与えられた家臣が複数みられます。
信昌は存命中に長男の嫡男の武田信縄(のぶつな)に家督を譲り、現在の山梨市落合に居館を置いて隠居したことから「落合殿」「落合御前」とも称されました。しかし後に信昌は次男の油川信恵(生年不詳 - 1508年)を支持し、信縄と信恵の間に争いが起こりました。

<参考資料>
『やまなしのお寺と神社』
『歴史の道調査報告書』秩父往還

<参考サイト>
曹洞宗 龍石山永昌院
https://eishouin.jp/
山梨の歴史を旅するサイト「永昌院」
https://www.yamanashi-kankou.jp/rekitabi/jisha/spot/039.html
山梨市「永昌院総門」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/eisyouin-soumon.html
山梨市「永昌院経蔵」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/city_06.html
山梨市「永昌院文書」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/city_35.html
山梨市「武田信昌の墓」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/city_56.html

御朱印もらえます

※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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