武田信縄の塔と伝えられる五輪塔が残る寺院

笛吹市との市境に近い山梨市正徳寺にある寺院で、境内には武田信玄の祖父である武田信縄の供養のために建てられたとされる石塔があります。石塔はもともと五輪塔でしたが、一番下の土台となる地輪が失われています。現在は「聖徳寺五輪塔」として、山梨市の有形文化財に指定されています。
武田信縄の墓所がある菩提寺としては甲府市塚原町にある恵運院が知られていますが、伝承によれば信縄の墳墓の場所は、この寺院のそばにある正徳寺果実共選所の付近とされています。
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五輪塔:日本では平安時代の頃から、死者の供養塔や墓標として用いられ、主に石で作られた塔です。重ねられた5つの異なる形の輪は、密教で物質を構成すると考えられている5大要素を表しており、下の段から地輪(四角)・水輪(円形)・火輪(三角)・風輪(半円)・空輪(宝珠)と呼ばれています。

武田信縄:甲斐武田家第17代当主の武田信縄(1471 - 1507年)は、聖徳寺(山梨市正徳寺)付近に居館を構えたと伝わります。父である武田信昌(のぶまさ)から家督を継承したものの、隠居後に信昌は翻意し、次男の油川信恵(生年不詳 - 1508年)への家督相続を望んだことから、信縄は生涯を通じて信恵との争いに身を投じることとなります。窪八幡宮の別当、上之坊普賢寺の住職が記した文書『王代記』に「兄弟相論」と記された武田家内部の争い、甲斐国内に台頭・跋扈する複数の勢力、1498(明応7)年に発生した明応の大地震などにより、甲斐国は大きな動乱の中で戦国時代に突入していくこととなりました。

<参考サイト>
山梨市「聖徳寺五輪塔」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/city_09.html

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