開拓の碑(かいたくのひ)

戦後開拓者の努力と苦労を偲ぶ

第2次世界大戦の終戦に伴う戦後開拓により、山梨県では八ヶ岳・富士山麓などが開拓地に指定されました。小淵沢開拓地の大東豊(だいとうほう)区(旧・北巨摩郡小淵沢村)もそのひとつで、大東豊公民館の敷地には入植日、入植者数、氏名が刻まれた開拓記念碑が立っています。
小淵沢開拓地には終戦直後の1945(昭和20)年9月から、戦災者、復員軍人、引揚者ら約90戸270人が入植しました。農業経験者が少なかったため、長時間の労働を強いられ、寒さの厳しい冬は出稼ぎに行ったといいます。
1948(昭和23)年には小淵沢開拓農協を設立。1953(昭和28)年からは多くの開拓農家が乳牛を飼育し始め、穀物栽培から酪農と高冷地野菜栽培へと転換していきました。
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・戦後開拓:戦後の深刻な食糧難、離職者や復員者の就業への対策として、1945(昭和20)年に「緊急開拓事業実施要領」が作られ、全国的に開拓事業が推進されました。
・小淵沢開拓地:八ヶ岳の中腹、標高約1000メートルに位置。開拓者は仮設の小屋に暮らし、ライ麦、雑穀、豆類などの作付けを行いました。開拓初期は自分たちが食べる分を作るのに精一杯で、販売によって現金収入を得ることはできなかったといいます。

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