小荒間番所跡(こあらまばんしょあと)

武田信虎が設置した番所

番所とは、国境で旅人や物資の移動を監視する場所です。小荒間番所は天文年間(1532-1555年)、甲斐国を統一した信玄の父・武田信虎(たけだのぶとら)が、信州からの防衛のために設けたとされます。番所は江戸時代になると口留番所と呼ばれ、甲斐国には25カ所の口留番所が置かれていました。近隣3村の農民が村役で警備を担当し、江戸末期には村人が馬で荷運びをし、ここを通って諏訪方面との交易を行っていました。
当時は門、矢来、茅葺きの番所小屋などがありましたが、明治時代になって建物が撤去され、1933(昭和8)年の小海線開通と同時に現在地に移されました。今は石祠、道祖神、道標が置かれています。三分一湧水館では江戸時代の番所の復元模型を見ることができます。
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・棒道周辺の石祠(せきし):厚みのある屋根と、それを支える二本の柱は、峡北地域(北杜市、韮崎市)の石祠の特徴。唐破風(からはふ、屋根や庇の軒に設ける弓形の意匠)がついたものもあり、特に神社のような派手かつ繊細な彫刻がほどこされた石祠は峡北地方特有です。柱は凍害(石中の水分の凍結、膨張による害)により破損、紛失していることも多いようです。こうした石祠は市内に無数に見られます。
・口留番所:江戸時代に交通の要地に置かれ、人の出入りや商品の流通を監視した検問所。甲斐国には25カ所の口留番所が設置されていました。

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