逸見神社(へみじんじゃ)

代々の逸見氏(甲斐源氏の一派)が崇拝した神社

創立年代は不詳ですが、逸見清光によって建立され、逸見氏代々崇敬の社であったことから逸見神社と称したとされています。その後、武田氏、徳川氏からも寄進を受け祈祷するなど厚い崇敬を受けていました。
谷戸城を国指定史跡として整備するに当たり、城内に祀られていた八幡神社が合祀され移設されました。鳥居をくぐって正面に見えるのは拝殿です。拝殿の裏手にまわると八幡社と逸見社の本殿が
二つ立ち並んでいます。
1574(天正2)年の八ヶ岳崩壊が引き起こした洪水で、逸見氏、武田氏による寄進物はすべて流出したとされ、今も境内に散在する巨石が水害の凄まじさを伝えています。
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・棒道周辺の石祠(せきし):逸見神社の裏手には、多くの石祠が安置されています。厚みのある屋根と、それを支える二本の柱は、峡北地域(北杜市、韮崎市)の石祠の特徴。唐破風(からはふ、屋根や庇の軒に設ける弓形の意匠)がついたものもあり、特に神社のような派手かつ繊細な彫刻がほどこされた石祠は峡北地方特有です。柱は凍害(石中の水分の凍結、膨張による害)により破損、紛失していることも多いようです。こうした石祠は市内に無数に見られます。
・大和神楽(太々神楽):逸見神社に奉納される大和神楽(太々神楽)は北杜市の無形民俗文化財に指定されています。『古事記』や『日本書紀』の神話を元にした出雲流神楽のひとつ。神楽師が面をかぶらない素面で、御幣や鈴、刀、弓などを持って場を清める儀式的な舞を行い、続いて神々に扮した神楽師が神話を元にした一種の劇を演じます。民俗芸能というより、五穀豊穣や家内安全を祈る神事の意味合いが強いのが特徴です。

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