お万の方像(おまんのかたぞう)

女性に七面山登詣の道を開いた立役者

七面山敬慎院へと向かう表参道の登山口付近には、お万の方の銅像があります。お万の方は徳川家康の側室で、徳川御三家の紀州藩祖徳川頼宜や水戸藩祖徳川頼房の生母として知られていますが、熱心な日蓮宗の信者でもありました。1608(慶長13)年、徳川家康が22世日遠上人の磔を命じた際には家康に助命を嘆願し、願いが叶わない場合は自らも死を選ぶ覚悟を告げて、家康に日遠を放免させています。家康の没後は法尼「養珠院」となり、1640(寛永17)年、家康の25回忌の法要後に当時女人禁制だった七面山に登詣。女性に七面山参詣の道を開きました。久遠寺では大鐘や丈六堂の釈尊像、千体仏など、お万の方が寄進したものも見学できます。
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慶長の法難:1608 (慶長13)年、江戸城で浄土宗の僧侶と日蓮宗の僧侶がそれぞれの教えについて論争を行うことになりましたが、日蓮宗の僧侶は直前に襲撃されて重傷を負い、法論の場で発言できなかったことから、論争は日蓮宗の敗北とされました。22世日遠上人はこれを不服とし、家康に新たな論争の機会を求めたところ、家康の怒りを買い、磔の刑を命じられます。日遠上人を生涯の師と仰いでいたお万の方は、家康に日遠の命を救うよう嘆願し、叶わない場合は自分も殉じる覚悟を見せたため、家康が翻意したと伝えられています。

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