「藤村式建築」の流れを汲む瀟洒な洋館
明治30年代初めに勝沼郵便電信局舎として建てられた入母屋造りの瀟洒な洋風建築です。建築した松木輝殷(てるしげ)は勝沼の住で、西洋建築と日本建築を融合させた「藤村式建築」を多く手がけた大工棟梁で、主に学校建築に携わりました。この建物も藤村式建築の流れを汲んで作られています。
1920(大正9)年に株式会社山梨田中銀行が設立されると社屋として使われるようになり、社屋の後ろに、重要書類の保管施設としてレンガ倉庫と繭蔵1棟、米蔵2棟が増設されました。第二次世界大戦中は住宅に改修され、宮家の北白川宮が疎開したこともありました。
現在は博物館として一般公開されており、社屋とレンガ倉庫は国の登録有形文化財に登録されています。社屋の中には郵便局時代のカウンター跡や、銀行時代の椅子や机が当時のまま残っています。また、鬼瓦の屋根に洋風の引き上げ窓を組み合わせたり、「田」「中」の文字がデザインされた洋風の鉄柵など、和洋折衷のユニークな意匠も数多く見ることができます。
開館時間:(4~10月)水~日曜
(11~3月)土・日曜の午前9時~午後4時
観覧無料
1920(大正9)年に株式会社山梨田中銀行が設立されると社屋として使われるようになり、社屋の後ろに、重要書類の保管施設としてレンガ倉庫と繭蔵1棟、米蔵2棟が増設されました。第二次世界大戦中は住宅に改修され、宮家の北白川宮が疎開したこともありました。
現在は博物館として一般公開されており、社屋とレンガ倉庫は国の登録有形文化財に登録されています。社屋の中には郵便局時代のカウンター跡や、銀行時代の椅子や机が当時のまま残っています。また、鬼瓦の屋根に洋風の引き上げ窓を組み合わせたり、「田」「中」の文字がデザインされた洋風の鉄柵など、和洋折衷のユニークな意匠も数多く見ることができます。
開館時間:(4~10月)水~日曜
(11~3月)土・日曜の午前9時~午後4時
観覧無料
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藤村式建築:明治前期に多く作られた西洋建築と日本建築を融合させた建築を、山梨県ではこのように呼びます。1873(明治6)年に山梨県権令(現在の知事)に就任した藤村紫朗が、文明開化の象徴といえる洋風建築を奨励したことから、この名がつけられました。
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- 800m / 徒歩10分
- 06日川/日川水制(ひかわ(にっかわ)/ひかわすいせい)