歌川広重と道祖神祭りの幕絵(うたがわひろしげとどうそじんまつりのまくえ)

江戸時代の甲府文化と財力を象徴

江戸時代、甲府城下では毎年1月13日から15日の3日間、「道祖神祭り」という祭りが賑やかに行われていました。商業が栄えていた現在の中央2~5丁目に当たる柳町・八日町・連雀町・魚町、現在の若松町に当たる緑町付近の商家では、祭りの際に各店舗の軒先に「幕絵」という大きな飾り幕を飾る風習があり、「当国一大盛事」とも評されるほどの豪華さを競っていました。
1872(明治5)年に明治政府によって道祖神祭りが禁止されると、幕絵のほとんどは処分され、現在は数枚しか残っていません。そのうちの貴重な1枚が、初代歌川広重の描いた「東都名所目黒不動之瀧」です。
歌川広重は11~12枚の幕絵を作成したと推定されますが、現存するのはこの1枚のみです。1841(天保12)年に描かれ、山梨県の文化財に指定されています。
広重は、道祖神祭りの絵を描くために甲府に訪れた際の道中を「甲州日記」に書き残しています。甲府に到着してからの広重は、旧緑町に滞在して絵を描き、酒盛りをし、芝居を見物して毎日を過ごしていたようです。
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幕絵: 幕絵は縦が約1.8m、横は約11~16mもあり、町ごとに「東海道」「江戸名所」「和漢名将伝」などといった画題を決め、京都の絵師や江戸の浮世絵師に制作を依頼したそうです。初代・2代歌川広重、歌川芳虎、月岡芳年などの有名な絵師が描いたといわれています。
幕絵は江戸時代後期の甲府の財力と、文化度の高さを表していると言えます。

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