太平洋と海なし県をつなぐ川の道

ご存じのとおり、山梨県には海がありません。しかし、海のものが何もないわけではありません。たとえば、最大のおもてなしにはマグロを用意し、塩味がしっかり効いた料理でもてし、アワビの煮貝もツマミにすれば最高の贅沢です。この海の産物たちは、太平洋へ流れ込む富士川から舟でもたらされました。これが富士川舟運です。富士川の上流は釜無川。そして舟には荷揚げなどをする場所が必要です。その重責を担ったのが船山河岸でした。この船山河岸ができたのは1835(天保6年)、河岸からは太平洋から海産物が運ばれるだけでなく、年貢である米や雑穀が江戸城に運ばれました。まさにギブ&テイク。昨今話題の「海ゴミゼロ」活動の重要性を知る上でも大切な歴史です。
賑わいを見せた富士川舟運ですが、時代の流れは舟運から鉄道へと大きな変革期を迎えます。それが、中央本線です。新宿から甲府、そして韮崎さらに諏訪へと、物資輸送方法が変わったのです。それでも、韮崎宿の果たしてきた人・物・情報・文化などが集り発信する役割は変わらず、今に引き継がれています。
 船山河岸があったことを伝える大きな石碑が船山の丘にあります。そこにある姫宮神社のお参りとともに訪ねてもらい、町の歴史の変化と変わらず引き継がれている宿の役割に思いを巡らすのも一興です。

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