荒尾田中神社(あらおたなかじんじゃ)

お茶壺道中の一行が宿泊した合祀神社

元々は荒尾神社と田中神社という別々の場所にあった2つの神社で、境内には本殿も鳥居も2つずつあります。
荒尾神社は約600年前の室町時代に、ヤマトタケルノミコトと水の神様であるミズハメノミコトを祭神として中山のふもと、尾白川のそばに建てられました。尾白川がしばしば氾濫するため、「甲斐国志」には「荒き尾白川に臨む」という意味で、荒尾という名が名付けられたと書かれています。
たび重なる氾濫を恐れて村人が台ヶ原などに移り住み、祭祀が滞りがちになったことから、1914(大正3)年に台ヶ原宿の中にある田中神社境内に合祀されることになりました。田中神社はオオナムチノミコトとヒメオオカミを祭神とし、安産の神として古くから参拝されてきましたが、創建時期は不明です。
新茶の季節になると、徳川将軍に献上する宇治茶を江戸へ運ぶ「御茶壷道中」が往来しましたが、一行は毎年6月下旬に台ヶ原宿を通り、荒尾田中神社の拝殿を宿泊場所として利用していました。境内には「虎石」と呼ばれる、虎の頭の形をした石が鎮座しています。毎年、秋季例祭にはこの石が由来となったとされる珍しい「虎頭の舞」が奉納されます。
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虎頭の舞:秋季例祭で奉納される「虎頭の舞」は、獅子舞のように虎頭を被って舞う珍しい舞です。昔は獅子舞でしたが、境内にある「虎石」の上に獅子頭を置いた所祟りがあり、以来、台ケ原では獅子舞が禁じられ、代わりに虎舞が舞われるようになったといわれています。山梨県内では台ケ原地区のみで行われている貴重な舞で、明治時代に一度途絶えましたが、1991(平成3)年に保存会が設立されて復活しました。
お茶壺道中とわらべ唄:「ずいずいずっころばしごまみそずい」で始まるわらべ唄は、お茶壺道中を茶化して歌ったものです。「茶壺に追われてとっぴんしゃん、抜けたらどんどこしょ」という歌詞は、お茶壺道中が通ると戸をしっかりと閉めて役人に因縁をつけられないようにし、過ぎたら戸を開ける様子を表していると言われています。

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