山梨県最古の「雲版(うんぱん)」を納める

1588(永禄元)年、当時の上野原城主だった加藤丹後守景忠(かとうたんごのもりかげただ)が加藤家の菩提寺として真言宗から曹同宗に改修し、現在の場所に移しました。
寺の本堂にある銅製の雲版(食事や法要の時に打ち鳴らす仏具)は南北朝時代の1373(応安6)年に製作された山梨県内に残る最古の雲版で、山梨県の指定文化財です。表に「武州」の文字があり、戦利品として持ち帰ったものと考えられています。
中里介山が時代小説『大菩薩峠』で「甲州上野原の報(保)福寺、 これを月見寺と唱える」と書き、正門の右側には中里介山の手による「月見寺」の石碑があります。山梨県にある中里介山の真筆の石碑は、大菩薩峠の頂上にある石碑とこの石碑の2つのみです。
もっと知りたい
・加藤丹後守景忠の父、虎景は武田信玄の旗本武者奉行で信玄の武術指南役を務めた。
・景忠は武田氏重臣の小山田氏と共に「上野原七騎」と称される武士団を率いて、甲斐と相模の国境にあたる津久井口で警備の最前線を担っていた。

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※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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