ほとんどの家が宿屋を経営

上野原宿から鶴川を渡ったすぐ先にあった宿場が鶴川宿です。宿場が形成されたのは1713(正徳3)年で、「一村一宿」といって、村のほとんどの家が宿屋を経営していました。
本陣はなくなってしまいましたが、現在も各家には宿屋の屋号が残り、表札などに書かれたものを見ることができます。また、「問屋場」の建物は一部残っており、当時の面影を残しています。
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・問屋場は、宿場で重要な役割を果たした施設で、主に2つの業務が行われていた。一つは大名などが宿場を利用する際に、必要な馬や人足を用意し、荷物を次の宿場まで運ぶことで、もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務だった。

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