北斎、広重が描いた富士を一望

江戸から見て野田尻宿の次の宿にあたり、郡内地方で最も標高が高いところにある宿場です。この宿場のそばにある犬目峠からは美しい富士山を一望でき、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 甲州犬目峠」、歌川広重の「不二三十六景 甲斐犬目峠」に描かれた場所としてよく知られています。
犬目宿は、人気のなかった地域に新たに、1713(正徳3)年に設置された宿場です。本来は、現在の位置より700m南に集落があったといわれています。宿場通りの西に位置する犬嶋神社と宝勝寺が、西からの侵略を守っており、江戸防御のための戦略的な構えとなっていました。宿場の通りの長さは約300mで、1970(昭和45)年の大火で大半が消失してしまいましたが、今も町並みには宿場の雰囲気が残されています。
この宿場は宿場の中ほどに生家跡を示す標識が立っています。また、宿場の東にある高台には犬目兵助の墓が残っています。
もっと知りたい
・郡内地方は1836(天保7)年に未曾有の大飢饉に襲われ、餓死者が多数出た。村役人が代官所に救済を願い出たが聞き入れられず、郡内42カ所の農民数百人が白野宿に集結し笹子峠を越えた。この時、指導者を務めたのが犬目兵助だった。
・目的は米商人に米の売り出しと借り受けを求めることだったが、一揆勢がどんどん増えて暴徒化し、破壊行動を行うようになった。暴徒は最終的には3万人に膨れ上がり、破壊行動は甲州全域に及んだ。これが「甲州一揆」である。
・甲府勤番だけでは抑えきれず、幕府は諏訪藩と沼津藩を出兵させて鎮圧した。犬目村の兵助は逃亡し信州、北陸、関西、中国、四国を放浪した。明治時代になって犬目宿に戻り、実家の旅籠「水田家」で静かな余生を送った。

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