下山大工が手がけた彫刻が見事
山梨県に127社ある諏訪神社の一つで、建御名方命(タケミナカタノミコト)を祀っています。本殿は1793(寛政5)年に「下山大工」の土橋文蔵によって再建されました。昇り龍や降り龍などの鳥獣を配した精緻な彫刻が今も残る本殿は、山梨県の指定文化財となっています。
本殿裏にある神木の朴の木は樹齢二千数百年以上と言われ、ヤマトタケルが杖にした木をから発芽したとされています。古来からこの神木をおろそかにすると、災いが起きると言い伝えられています。
また、境内には笹子峠の「笹子峠の矢立のスギ」、一宮の甲斐奈神社の「橋立の大杉」と並び「甲州街道の三本杉」と言われた「初鹿野の大杉」がありました。鉄道の開通に伴い、振動と蒸気機関車の煙で枯れてしまい、今は切り株が残されています。
本殿裏にある神木の朴の木は樹齢二千数百年以上と言われ、ヤマトタケルが杖にした木をから発芽したとされています。古来からこの神木をおろそかにすると、災いが起きると言い伝えられています。
また、境内には笹子峠の「笹子峠の矢立のスギ」、一宮の甲斐奈神社の「橋立の大杉」と並び「甲州街道の三本杉」と言われた「初鹿野の大杉」がありました。鉄道の開通に伴い、振動と蒸気機関車の煙で枯れてしまい、今は切り株が残されています。
もっと知りたい
・「下山大工」とは、現在の山梨県南巨摩郡身延町下山を拠点に、代々活躍していた大工集団を指す。
・下山大工は、江戸時代の全盛期には300人もの職人がいたと言われる。その建築は、江戸期から明治初期にかけて「甲州流」として知られ、この神社は甲州流の完成期に近い優れた作品とされる。
・下山大工は、江戸時代の全盛期には300人もの職人がいたと言われる。その建築は、江戸期から明治初期にかけて「甲州流」として知られ、この神社は甲州流の完成期に近い優れた作品とされる。
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