織物産業を支えた江戸期の用水路

江戸時代初期に谷村を治めた秋元泰朝によって1639(寛永16)年に完成された大堰(用水路)。谷村城下に近い田原の滝の上で桂川の水を堰き止め、豊富な湧水を城下へ引き入れました。家中川の水は飲料水や灌漑用として人々の暮らしを支え、のちに織機も動かした水車の動力、染物用の染料を洗う水となって織物産業の発展に欠かせない存在となりました。
「家中」とは大名家の家臣団の意味で、家臣の屋敷地を流れる川であることから名づけられました。昔は現在よりも川幅が広く流れも急で、与謝野晶子は大正末期に「八月の富士の雪解(ゆきげ)の水湛へ 甲斐の谷村を走る川かな」と詠みました。水量が豊富で流れが急であったことから、水車の動力源としても最適だったと言われています。
現在は鯉が泳ぎ、谷村の町中に潤いをもたらしているほか、3つの小水力発電所が設けられています。
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<参考資料>
『谷村路-山梨県歴史の道調査報告書第11集』
『都留市史 通史編』
『富士道を歩く会-2012~2014年の旅録』P24
https://www.tsuru.ac.jp/uploaded/attachment/2192.pdf
ミュージアム都留 解説シート

<参考サイト>
都留市立図書館「谷村大堰」
https://www.lib.city.tsuru.yamanashi.jp/contents/history/another/kinsei/yamuraosegi.htm

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