谷村を潤す水の取水口

古くから富士道の絶景地として知られ、松尾芭蕉が句を詠み、富士講信者が禊ぎを行ったといわれる滝。
度重なる崩壊や浸食、それに伴う護岸工事や砂防堰堤工事で往時の姿は失われたものの、富士山の溶岩が造り出した渓谷を、桂川の豊かな水が複数の滝となって流れ落ちていきます。
この滝の上流には、谷村大堰という取水口があります。固い溶岩流の河岸段丘上に位置するため、井戸が掘れず桂川がはるか低地を流れている谷村では、水の確保が課題となっていました。そこで、1636(寛永13)年から3年間をかけて、谷村藩主の秋元泰朝の指示によって大堰の開削が行われました。ここで取り入れられた桂川の水は、家中川、寺川、中川、女川に分かれて谷村の地域を潤し、農業用水、飲用水、そして織物の染料を洗う水や織機の動力などとして利用されました。
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・松尾芭蕉と谷村:芭蕉は1682(天和2)年の江戸の大火で庵を焼かれ、翌年、自身の俳句の弟子であった谷村藩主秋元家の国家老・高山伝右衛門(麋塒(びじ))の招きで谷村に滞在して多くの句を残した。この時の谷村への旅が、『野ざらし紀行』『奥の細道』などに代表される俳諧の旅を行うきっかけになったともいわれている。
・「勢ひあり 氷消えては 瀧津魚」:富士山の雪解けで増水した桂川の清流に、勢いよく跳ねる魚とともに春の訪れを喜ぶ心情を、訪れた松尾芭蕉が詠んだことでも有名。田原の滝公園には芭蕉の石像と句碑が立っている。
・鑑賞ポイント:都留市の上谷地区と東桂地区を結ぶ佐伯橋の上から、田原の滝を正面に眺められる。四季折々の自然景観を富士急行線の列車と一緒に撮影できるスポットとして、鉄道写真愛好家にも人気。

<参考資料>
『都留市史 通史編』
『つるさんぽ-「都留市を歩こう!」おさんほガイドブック』P7
https://www.city.tsuru.yamanashi.jp/material/files/group/11/t-walk.pdf
『富士道を歩く会-2012~2014年の旅録』P53
https://www.tsuru.ac.jp/uploaded/attachment/2192.pdf
『図説 山梨県の歴史(図説 日本の歴史19)』(1990、河出書房新社)
『谷村路-山梨県歴史の道調査報告書第11集』

<参考サイト>
都留市立図書館「谷村大堰」
https://www.lib.city.tsuru.yamanashi.jp/contents/history/another/kinsei/yamuraosegi.htm
ミツカン 水の文化センター「環境と産業のバランスタウン〈都留〉」
https://www.mizu.gr.jp/fudoki/kotoba/001_tsurushi.html
都留市「名勝 田原の滝」
https://www.city.tsuru.yamanashi.jp/soshiki/sangyo/shoko_t/2/1370.html
富士の国やまなし(公益社団法人やまなし観光推進機構)「田原の滝」
https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4832.html

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