富士道の変遷を伝える道しるべ
富士道にはいくつかの道筋があります。江戸時代の富士道は小沼を過ぎると左手に進み、明見(あすみ)地区へと出ていました。明治の初めころから道筋が次第に変わり、西桂小学校の少し手前から右手の「揚坂」をのぼり、西の山裾に沿って下吉田地区へと出るようになりました。西桂小学校の先にあるY字路を右手に伸びる道は、明治19(1886)年に開通したさらに新しい道です。このY字路には、「右方富士登山道」と刻まれた道標が建っています。「登山道」という新しい表現が使われています。
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〈参考資料〉
「富士参詣の道を往く-富士山道」
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/fujisanmichi-omote.pdf
『富士山-山梨県富士山総合学術調査研究報告書2(資料編)』
『谷村路-山梨県歴史の道調査報告書第11集』
山梨てくてく(山梨県広聴広報課)
https://www.pref.yamanashi.jp/koucho/tekuteku/documents/tektek_vol03.pdf
「富士参詣の道を往く-富士山道」
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/fujisanmichi-omote.pdf
『富士山-山梨県富士山総合学術調査研究報告書2(資料編)』
『谷村路-山梨県歴史の道調査報告書第11集』
山梨てくてく(山梨県広聴広報課)
https://www.pref.yamanashi.jp/koucho/tekuteku/documents/tektek_vol03.pdf