筒粥祭と流鏑馬が有名な「下宮浅間」

下吉田の中心に鎮座する小室浅間神社は、古くから「下宮浅間(しもみやせんげん)」の愛称で地元の人に親しまれてきました。富士山の神である祭神の木花開耶姫命は養蚕の守護神でもあるとされ、右手に桑、左手に蚕を持った木花開耶姫命を描いた「養蚕守護」のお札が配布されました。織物産業が盛んだったこの地域の特徴がよく表れています。
800年以上昔から毎年1月14、15日には筒粥祭が行われ、農作物の豊凶や富士山を訪れる登山者の増減が占われてきました。上吉田で暮らす御師たちも当社の氏子であったため、彼らの暮らしを大きく左右するものとして、その年の富士山参詣者の数は重要だったのです。その年の登山者の総数、さらに甲州・信州・駿州・相州・武州の方面別の数も占われたため、御師たちは占いを参考に各地に赴き、熱心に布教を行いました。
また9月18、19日に行われる流鏑馬祭は下吉田地区最大のお祭りですが、こちらも馬の蹄の跡で吉凶を占う、大変珍しい神事です。流鏑馬祭では、下吉田で織られた織物が着用されたというのもこの地域ならではです。
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・創建:剣丸尾溶岩の突端にあり、本殿の裏手に回ると、荒々しい溶岩流が露頭となって出現している。
・織物の地域性:江戸時代、織物の生産量が増加するに伴い、産地ごとに特色ある織物を織るようになった。『甲州噺』(1732年)という資料には、「白絹は真木・花咲(大月市)、菱絹は小形山(都留市)、縞の類は上・下谷村(都留市)、海気は田野倉(都留市)、八反掛は新倉と玉川(都留市)、紬は松山(富士吉田市)、夏袴地は暮地(西桂町・富士吉田市)と小沼(西桂町)」と書かれている。
・筒粥祭: 毎年1月14日深夜から翌朝15日の未明にかけて行われる伝統的な神事。24本の葭の筒の中に粥と米の粒がどのくらい入ったかで、その年の農作物の豊凶などを占う。この神事を執り行うのは男性のみで、占人たちは前の晩に葭ヶ池温泉で身を清めてから神事に臨む。

〈参考資料〉
「富士山と養蚕」(山梨県立富士山世界遺産センター 令和2年度冬企画展リーフレット)
https://www.fujisan-whc.jp/archive/documents/r2leaflet2.pdf
「富士参詣の道を往く-富士山道」
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/fujisanmichi-omote.pdf
『富士吉田市史 通史編第二巻近世』
『都留市史 通史編』

〈参考サイト〉
富士吉田市観光ガイド
https://fujiyoshida.net/spot/29

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※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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