昭和レトロのディープな繁華街

機屋と織物問屋による織物取引が行われた絹屋町は東裏とも呼ばれ、東裏の商いで稼いだお金を西裏の繁華街で派手に使うことが通例となっていました。道を挟んで東側が取引を行う“昼のまち”、反対の西側が娯楽を楽しむ“夜のまち”だったのです。
特に第二次世界大戦後は日本全国で衣類や布の需要が激増し、「ガチャマン(ガチャンとひと織りすれば1万円の収入になる)」と呼ばれた好景気となり、西裏の繁華街は最もにぎやかな時代を迎えます。映画館、劇場、麻雀店、ビリヤード場などの遊戯施設のほか、高級料亭、すし屋、居酒屋、スナックなど、様々な飲食店がひしめき合っていました。
その後、国内外での需要減少から最盛期のにぎわいは失われましたが、長い時を経て、昭和の面影を色濃く残すレトロな街並みが再び注目を集めるようになりました。まちなかに張り巡らされた狭い路地を巡って、昭和の雰囲気と人情を残すディープな飲み屋街を楽しみましょう。
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〈参考資料〉
『富士吉田市史 民俗編第一巻』

〈参考サイト〉
富士吉田市観光ネット
https://fujiyoshida.net/spot/32
https://fujiyoshida.net/feature/nishiura/index
やまなし観光推進機構
https://www.yamanashi-kankou.jp/course/taste/006.html
新世界乾杯ストリート
https://kanpai.info/

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