神域とされた御師の町

富士山の信仰が盛んになると、江戸や江戸周辺から多くの人が富士山を訪れるようになり、「御師」とよばれる人々が、それらの参詣者に自宅を宿坊として提供し、食事や参詣の面倒を見たり、祈祷を行うなどの世話をしていました。その後、江戸富士講の食行身禄によって登山本道とされたこともあって、大都市江戸から多くの人々を迎えた上吉田には、最盛期には道の両側に80軒を超える御師坊が並び、富士信仰の登拝拠点として発展しました。
御師たちは、夏の登拝シーズンはこの御師町で富士講信者の受け入れを行い、冬になると各地の檀家を訪れる檀家廻りをしていました。檀家廻りでは、養蚕守護のお守りを配布したり、特産品の甲斐絹をお土産として配ることもあったようです。
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・御師町の移転:元々の町は現在地より東にあったが、1572(元亀3)年に現在地に移転した。このため、現在の竪宿(立町)と北口本宮冨士浅間神社は一直線ではなくクランク状になっている。

〈参考資料〉
「富士参詣の道を往く-御内八海」
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/zentaiban-omote.pdf
「富士参詣の道を往く-富士山道」
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/fujisanmichi-omote.pdf
「富士山と養蚕」(山梨県立富士山世界遺産センター 令和2年度冬企画展リーフレット)
https://www.fujisan-whc.jp/archive/documents/r2leaflet2.pdf
『富士吉田市史 民俗編第二巻』

〈参考サイト〉
富士吉田市観光ガイド
https://fujiyoshida.net/spot/26
富士五湖ぐるっとつながるガイド
https://www.mt-fuji.gr.jp/jyunrei/oshi/

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