食行身禄を祀るお堂

上吉田の中宿にある身禄堂には、富士講身禄派の祖であり、富士講発展の立役者ともいえる行者、食行身禄(じきぎょうみろく)の像が祀られています。
食行身禄はもとは江戸で成功を収めた商人でしたが17歳で富士信仰に入り、商売の傍ら富士講の布教活動に努めるようになりました。1733(享保18)年、身禄は当時の政治を批判して、富士山の七合五勺の烏帽子岩で断食の末に入定し即身仏となります。入定の介添えを行なった田辺十郎右衛門によって身禄の死と身禄の教えが江戸にも伝えられ、市中の人々の注目を集め、富士講の人気はますます高まってゆきました。
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・田辺十郎右衛門:田辺十郎右衛門とその息子は、入定の際に身禄が語った教えを「三十一日の巻」にまとめたほか身禄の遺品も引継ぎ、有力な御師の家となった。

〈参考資料〉
「富士参詣の道を往く-富士山道」
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/fujisanmichi-omote.pdf

〈参考サイト〉
歴史の情報蔵(三重県環境生活部文化振興課県史編さん班)
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=225
富士吉田歴史民俗博物館
https://www.fy-museum.jp/div/fujisan-museum/pdf/marubi/marubi35.pdf
https://www.fy-museum.jp/div/fujisan-museum/pdf/marubi/marubi36.pdf
https://www.fy-museum.jp/div/fujisan-museum/pdf/marubi/marubi37.pdf

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