小明見富士浅間神社(こあすみふじせんげんじんじゃ)

富士信仰の拠点となった村の鎮守

富士吉田市域には古墳時代以降に富士山から噴出した溶岩流として、西側の剣丸尾(けんまるび)溶岩流と東側の檜丸尾溶岩流があり、市内の古い集落はこれらの溶岩流を避けて形成されています。溶岩流への畏怖は富士山への畏敬の念となり、各集落には産土神として富士山の神をまつる浅間神社が建てられました。
小明見地区にある小明見富士浅間神社もこうした産土神のひとつです。社殿は過去に何度も改修されていますが、かつての本殿は溶岩を背にして建てられており、富士山の噴火を鎮めるための願いが込められていたと考えられています。江戸時代には「富士権現」と称され、修験系富士信仰の拠点となっていました。またこの地域でも古くから養蚕が行われてきたことから、境内には「養神碑」も置かれています。
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・明見経由の富士道:西桂町小沼地区の分岐点を左手に進む明見ルートの富士道は、米倉橋の南西600mの分岐点でさらに二手に分かれる。この分岐点を左に進むと山裾を通って向原地区、古原地区経由で明見湖方面へ、右に進むと新田地区経由で愛染へと通じている。この二つの道は、愛染地蔵堂の少し前で再び合流する。
・「明見よりの古道」:明見地区には、明見湖南の仁王坂を越えて進むさらに古い道があった。この道は、仁王坂を越えてから、大明見地区を通り、桂川を渡って古吉田地区そして富士山へ至る道と、鳥打(鳥居地)峠を越えて内野地区(忍野村)、平野地区(山中湖村)を通り、駿河へと至る道との二手に分かれていた。
・蚕神碑:小明見富士浅間神社のある向原地区では、6軒の養蚕農家が「蚕神」であるオシラ神を祀っていた。この6軒で年に一度お日待ち(ひまち)を行い、それぞれの家が当番制で蚕神の「オチョウヤ」と呼ばれる祠を置いていたと伝わっている。
・神楽:大晦日や例祭時に奉納される太々神楽は、富士吉田市無形民俗文化財に登録されている。

〈参考資料〉
『富士吉田市史 民俗編第二巻』
『富士山-山梨県富士山総合学術調査研究報告書2(資料編)』
『谷村路-山梨県歴史の道調査報告書第11集』
「富士参詣の道を往く-富士山道」
https://www.pref.yamanashi.jp/fujisan/documents/publicity_materials/documents/fujisanmichi-omote.pdf
「富士山と養蚕」(山梨県立富士山世界遺産センター 令和2年度冬企画展リーフレット)
https://www.fujisan-whc.jp/archive/documents/r2leaflet2.pdf

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