大蔵経寺(だいぞうきょうじ)

武田家の守護尊「将軍地蔵」を所蔵する古寺

奈良時代の722(養老6)年、行基(ぎょうき)を開祖として創建されたと伝えられる古寺です。1370(応安3)年に足利義満の子である観道(かんどう)が入山するにあたり、甲斐国守護の武田信成(のぶしげ)に命じて伽藍を建造させ、仏教聖典の総集である大蔵経を五重の塔に奉納したことが寺院の名前の由来です。この時から武田家の祈願寺となり、今も武田家の守護尊である「将軍地蔵」を所蔵しています。
1516(永正13)年、武田信虎と駿河勢による「万力の合戦」の際に火をかけられたことを始め、創建以来、幾度も火災に見舞われており、現在の伽藍は天保年間から安政年間に再建されたものです。所蔵文化財も多く、観道上人が納めた仏画など4点は山梨県の文化財、室町時代に描かれた「絹本著色仏涅槃図」は国の重要文化財に指定されています(いずれも一般非公開)。
江戸時代には徳川家により再興され、徳川家康の念持仏(身近に安置した仏像)とされる「三面大黒天」や「権現堂厨子」が現在まで残されています。この寺院の位置が甲府城から鬼門にあたるため、甲府城代は毎月17日、武運長久に祈願参拝したと伝えられています。
寺院の背後に立つ大蔵経寺山は山梨百名山の一つで、この寺院にちなんで名付けられました。境内にある物部神社の裏手に、登山道の入口があります。
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行基:668年に現在の大阪府堺市で生まれた奈良時代の高僧です。15歳で出家後、仏道修行を経て、40代後半から民間布教や社会事業を行うようになりました。740年に聖武天皇から東大寺の大仏建立を託され、寄付を募るため全国を行脚しました。
武田信成:足利尊氏に信任を受けて姪を妻とした戦国時代の武将、武田信武の息子です。甲斐国守護を務め、1380(康暦2)年に甲州市の向獄寺を創建しました。創建当時の向獄寺は修行道場で「向獄庵」と名乗っていましたが、武田信玄の尽力により寺号が与えられました。

<参考資料>
『やまなしのお寺と神社』
『甲斐源氏 列島を駆ける武士団』

<参考サイト>
大蔵経寺
http://www.daizokyoji.org
ふえふき観光ナビ(笛吹市観光物産連盟)「大蔵経寺」
http://www.fuefuki-kanko.jp/detail/index_270.html?viewmode=pc
ふえふき観光ナビ(笛吹市観光物産連盟)「大蔵経寺山」
http://www.fuefuki-kanko.jp/detail/index_90.html
奈良県歴史文化資源データベース「行基」
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/ijin/gyoki/

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※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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