向嶽寺(こうがくじ)

禅宗寺院の伽藍の特徴を伝える

臨済宗十四派のひとつ、向嶽寺派の大本山です。塩ノ山の南麓に位置し、山号を塩山と称します。1380(康暦2)年、甲斐武田家第11代当主の武田信成(のぶしげ)が塩ノ山(甲州市塩山)を寺領に寄進し、ここに禅僧の抜隊得勝(ばっすいとくしょう)が草庵「向嶽庵」を結びました。度重なる火災や戦火で諸堂を焼失しては再建し、総門、中門、仏殿開山堂、方丈が一直線上に配置される禅宗寺院の伽藍の特徴を今に伝えるとともに、国宝「絹本著色達磨図」をはじめとする数々の文化財を受け継いできました。中門に掲げられた扁額「塩山」は、開山である抜隊得勝の筆とされています。
修行道場のため、国の名勝に指定されている庭園や諸堂は、通常一般公開されていません。境内に祀られている秋葉神社の大祭が毎年4月18日に開催され、地元では「あきやさん」と呼ばれて親しまれています。
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中門:1542(天文11)年の火災後に再建していますが、門の両脇に延びる築地塀は創建時に近い頃のものです。総延長33.5m、厚み1.6 mの塀で、強度を保つために小石・土・塩を混ぜており、「塩築地(しおついじ)」とも呼ばれます。
・向嶽寺と信時流武田氏:信虎-信玄-勝頼に連なる系譜の始まりは甲斐武田家第7代当主の武田信時(1220 - 1289年)とされ、このことから信時流武田氏とも称されます。上述の通り、甲斐武田家第11第当主の武田信成は向嶽寺の開山に関わりましたが、その嫡男である甲斐武田家第12代当主の武田信春(生年不詳 - 1413年)も塩山周辺の寺院に積極的な援助を行いました。甲斐武田家第14代当主の武田信重(1386 - 1450年)以降には、向嶽寺に保護を与えることが甲斐武田家の正嫡たる証となったようです。

塩ノ山:大月方面から鉄道で甲州市に入ると、進行方向左手の車窓には、山腹に木々の葉を青々と茂らせた塩ノ山が見えてきます。この一帯の地形は笛吹川の堆積作用によって形成された沖積平野ですが、その中で局所的に基盤が露出した箇所が塩ノ山です。このため周囲を低地で囲まれており、「四方からよく見える」「四方がよく見える」事から「しほうのやま」と呼ばれたことが、山名の由来と考えられます。この地域の地景を代表するシンボルであり、平安時代初期に編さんされた『古今和歌集』には「志ほの山(塩ノ山) 差出の磯に 住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」の歌が収められています。

<参考資料>
『甲州市武田氏絵巻』
『甲州市歴史的風致維持向上計画』
甲州市『武田信玄公生誕500年記念 武田家の史跡散策 配布資料』

<参考サイト>
臨黄ネット「塩山 向嶽寺」
http://www.rinnou.net/cont_03/13kogaku/
富士の国やまなし観光ネット「向嶽寺」
https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4495.html
甲州市移住支援ポータルサイト 甲州らいふ「市民に愛される山、「塩ノ山」」
https://www.city.koshu.yamanashi.jp/iju/54things/articles/no-146.html

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※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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