夢窓疎石が作庭した禅宗庭園

1330(元徳2)年、牧ノ荘の領主であった二階堂貞藤(にかいどうさだふじ)が夢窓疎石(むそうそせき)を迎え、屋敷の一画を寄進して創建したとされます。後に甲斐国における臨済禅林文化の一大拠点となりました。
境内北側の恵林寺庭園は、夢窓疎石が56歳の時の作庭といわれています。禅宗庭園の形式を伝えており、後に甲斐国で造られた寺院庭園に大きな影響を与えました。
その後、快川紹喜(かいせんじょうき)が入山して武田信玄の菩提寺となりますが、信玄の葬儀を行った後の1582(天正10)年、息子の勝頼が自刃して武田氏は滅亡し、恵林寺は織田信長の焼き討ちを受けました。
敷地内には武田信玄公宝物館を併設。毎年4月12日の命日には地元で「しんげんさん」と呼ばれる信玄公祭りが開かれます。
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夢窓疎石:鎌倉時代末期から南北朝時代を代表する禅僧のひとり。日本における禅文化の発展に貢献し、京都五山・鎌倉五山の禅僧たちによる五山文学の興隆に尽くしました。

快川紹喜:武田信玄の尊敬を受けた美濃の禅僧。1582(天正10)年、恵林寺に押し寄せた織田軍に、快川紹喜は「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」の言葉を残し、100人以上もの僧侶とともに火に包まれたといいます。

<参考資料>
『甲州市歴史的風致維持向上計画』

<参考サイト>
恵林寺
https://erinji.jp/

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※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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