大井俣窪八幡神社(おおいまたくぼはちまんじんじゃ)

武田信虎、信玄の時代の雰囲気を今日に伝える神社

859(貞観元)年に清和天皇の勅願により宇佐八幡宮が勧請され、その後平安時代末期に現在の地に遷座しました。甲斐武田家第18代当主の武田信虎の時代、1516(永正13)年の駿河今川勢の侵攻により戦火にさらされましたが、その後信虎・信玄が復興を支援し、また祈願社として篤く崇敬しました。
重要文化財が集中する境内の構成は、同社の境内古絵図が作成された天文年間(1532-1555年)の末頃までに完成されたと考えられています。戦国時代とほぼ同じ境内が現在まで残されており、当時の雰囲気を克明に伝えています。
1516(永正13)年、駿河から侵攻した今川勢は円楽寺、大蔵経寺、普賢寺などに火をかけながら笛吹川沿いを上流方向にさかのぼり、武田信虎は現在の山梨市万力付近でこれを迎撃しますが、敗れて恵林寺に退きました。この時に大井俣窪八幡神社の建造物も大半が焼失してしまいましたが、後に信虎が本殿、拝殿、若宮拝殿、神門、鳥居などを造立または再建し、同社の再建に尽力しました。鳥居は1535(天文4)年に信虎が自身の厄年に建立したもので、現存する国内最古の木造鳥居でもあります。
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<参考資料>
『歴史の道調査報告書』秩父往還
『やまなしのお寺と神社』

〈参考サイト〉
山梨市「窪八幡神社本殿」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_honden.html
山梨市「窪八幡神社拝殿」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_haiden.html
山梨市「窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_wakamiyahonden.html
山梨市「窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_wakamiyahaiden.html
山梨市「窪八幡神社末社高良神社本殿」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_takarahonden.html
山梨市「窪八幡神社末社比咩三神本殿」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_hibisanshinhonden.html
山梨市「窪八幡神社末社武内大神本殿」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_takeuchihonden.html
山梨市「窪八幡神社神門」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_shinmon.html
山梨市「窪八幡神社鳥居」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/kubohachimanjinjya_torii.html
山梨市「窪八幡神社境内古絵図」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/prefecture_22.html
山梨市「窪八幡神社鐘楼」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/prefecture_04.html
山梨市「窪八幡神社境内」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/city_61.html
大井俣窪八幡神社
https://kubohachiman.com/

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※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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