信玄の正室・三条夫人が眠る寺院

「甲府五山」の寺院の一つで、信玄の先祖である逸見太郎清光が小石和(笛吹市石和町)に開創したが、信玄が1560(永禄3)年に、京都から説三和尚を迎えて甲府に移しました。境内の西北側に信玄の正室である三条夫人の墓所があり、県の指定史跡となっています。
円光院から南西400mほどの住宅地の中には武田信玄の墓所(火葬塚)があり、信玄の命日にあたる4月12日の廻向や供養は、円光院が行っています。刀八毘沙門天と勝軍地蔵尊は、信玄が軍陣の守り本尊として境内の毘沙門堂に安置したものです。信玄没後、遺命により当院へ奉納されました。
寺院の名前は当初、清光院でしたが、のち成就院に変わり、三条夫人がこの寺院で葬送された時の法名から、現在の名前に改称されました。
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甲府五山:現在の甲府市に位置する長禅寺、東光寺、能成寺、円光院、法泉寺の5寺院を指します。1814(文化11)年成立の『甲斐国志』には、「甲府五山」や「府中五山」の記述がみえ、武田氏時代に由緒を持つ臨済宗妙心寺派(関山派)の5つの寺院が、近世以降「甲府五山」として受容されていったとみられています。通説では、武田信玄が最上の寺格を示す五つの寺院を定めた京都や鎌倉の五山制度にならい定めたとされますが、当時の資料からは確認できません。だたし、武田氏時代にこれら寺院の整備が行われたことは事実です。いずれの寺院も、武田氏親族の墓があるなど武田氏と深いかかわりがあります。

三条夫人:戦国時代の公卿、三条左大臣公頼の次女で、16歳で武田信玄の正室となりました。長男義信、次男竜宝、三男信之、長女黄梅院(北条氏政夫人)、次女見性院(穴山梅雪夫人)の3男2女をもうけ1570(元亀元)年、50歳で逝去しました。信玄はその3年後の1573(天正元)年に逝去しています。

<参考資料>
『やまなしのお寺と神社』

<参考サイト>
円光院
http://www16.plala.or.jp/enkoin/
山梨の歴史を旅するサイト「円光院」
https://www.yamanashi-kankou.jp/rekitabi/jisha/spot/010.html
大寧護国禅寺「三条公頼公墓所」
https://www.taineiji.jp/info/sanjyo.html

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※情報は制作時のものであるため、実際の訪問の際には事前にご確認ください。

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