酒折宮(さかおりのみや)

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説が残る連歌発祥の古社

山梨県内で唯一、『古事記』と『日本書紀』に記載されている甲府市酒折の古社です。酒折周辺は中世以前、甲斐国の交通の要衝であり、他国に通ずる9つの古道「甲斐九筋(かいくすじ)」(若彦路・中道往還・駿州往還・鎌倉街道・秩父往還・青梅街道・穂坂路・逸見路・棒道)はすべて酒折を起点としています。江戸時代に編纂された『甲斐国志』には「本州九筋ヨリ他州ヘ達する道路九条アリ皆路首ヲ酒折ニ起ス」と書かれています。
『日本書紀』によると、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国を平定した帰りに酒折宮に泊まりました。「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と歌を詠んでお供に問いかけましたが、誰も答えられず、焚火の番をしていた老人が「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」と歌の続きを返したので、日本武尊は老人の賢さを褒め「東国造(あずまのくにのみやつこ)」の称号を授けたそうです。これが日本で最初の連歌とされ、酒折宮は連歌発祥の地といわれるようになりました。境内にはこの連歌を刻んだ石碑が建っています。
日本武尊が酒折宮を発つ際、それまでの東征の道中で自分の身を救った火打嚢(ひうちぶくろ)を、この地域の豪族である塩海足尼(しおのみのすくね)に授けました。塩海足尼がその火打嚢を御神体、日本武尊を祭神として月見山中腹に社殿を建てたのが、酒折宮の創建とされています。
その後、時期は不明ですが、現在の場所に移転し、1916(大正5)年に社殿を焼失しました。現在の社殿は1942(昭和17)年に建てられたものです。
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連歌:短歌の上句「5・7・5」と下句「7・7」を二人以上で交互に詠むもので、中世から流行しました。酒折連歌は「5・7・7(問い)」、「5・7・7(答え)」という形式で、一般的な連歌とは異なる形式になっています。

酒折宮の旧跡「古天神」:酒折宮は当初、現在地の北側、月見山中腹にあり、この旧跡を「古天神」と呼んでいます。三角錐の形をした月見山は当時、山自体がご神体と見なされ、人々の信仰を集めていたと考えられます。古天神周辺には古墳や多くの石造物が点在し、考古学的価値の高い場所でもあります。

<参考資料>
『やまなしのお寺と神社』
『歴史物語都市こうふ』

<参考サイト>
酒折宮
http://sakaorinomiya.jp
身延町地域資料「甲斐九筋」
https://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/michi/history00.html
甲府市「連歌発祥の地!酒折宮」
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/senior/kamejii/073.html
甲府市「日本武尊と酒折宮」
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/kids/mukashi/001.html

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