国境の重要路を守った番所

秩父と甲府を結ぶ秩父往還は軍事、物資の面でも重要な街道であったことから、川浦口留番所の前身となる関所が置かれたと伝えられています。
江戸時代には幕府によって関所の設置が制度化され、諸藩の大名が私的に関所を設置することは禁じられました。一方の「口留番所」は「番所」や「番屋」とも呼ばれ、全国で他藩や天領に通じる交通の要所に置かれ、人流や物流を取り締まる役割を果たしていました。
川浦口留番所は、15坪の敷地に番屋と門が置かれ、番人は24時間交代で、1日2人ずつが任務にあたりました。通行手形は秩父側に設置された栃本関所で回収する形で発行されていたと伝えられています。
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関所と番所:関所も番所も水陸の交通の要所に設置され、人や産物の流入、流出を取り締まり、徴税を行う施設を示します。江戸時代に入ると「関所」は、江戸の防衛を目的として幕府が設置したものを指すようになり、各藩で私的に関所を設けることは禁じられました。各藩では交通の要所に「番所」や「口留番所」を置いて見張りや検問を行い、口役銀、口留運上などの租税を徴収しました。

〈参考資料〉
『甲斐の国山梨の道を探して』
『歴史の道調査報告書』秩父街道

〈参考サイト〉
山梨市「川浦口留番所跡」
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/citizen/docs/city_62.html

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