谷戸城跡(やとじょうあと)

武田氏発展の過程を伝える山城跡

源清光が築城し、この地で「逸見」と名乗ったとされます。八ヶ岳の山体崩壊に伴って形成された、流山地形を生かす構造です。
鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡』には、源平合戦の渦中、清光の子・武田信義と孫・一条忠頼が信濃の平家勢力を討伐した帰りに、「逸見山」で源頼朝の使者・北条時政と会見したと記されており、この「逸見山」は谷戸城だという説があります(若神子城との異説あり)。戦国時代には、武田氏の烽火台網(煙を用いた情報伝達網)の中継地にもなりました。

甲斐源氏をルーツとする武田氏の発展過程を知る上でも重要な城跡として、国の史跡に指定されています。発掘調査によって大規模な空堀や土塁、郭など、14〜15世紀の遺構や遺物が見つかっており、史実の解明が期待されています。

春は城跡内の桜が美しく、城上からは八ヶ岳、南アルプス、富士山、田園風景が一望できます。
もっと知りたい
・信玄と谷戸城:上の棒道は八ヶ岳南麓の台地上を通って信濃へ抜けており、1548(天文17)年に武田信玄が信濃へ出兵した際は谷戸に陣所を構えたとの記録が残っています。
・北条氏と谷戸城:武田家滅亡後の1582(天正10)年、徳川家康と北条氏直が争った天正壬午の戦いで、谷戸城は北条氏によって修築されたと考えられています。
・谷戸城跡公園:谷戸城跡では城が使われていた当時の様子が分かるように遺構を復元し、市民のための里山として環境整備を進めています。

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