白山城跡(はくさんじょうあと)

武田信義が築いた要害城

武田氏の祖である武田信義が要害として築いたといわれる山城の跡です。山城とは、山の地形を利用して造られた城のことです。戦国時代には、烽火(のろし)台による情報網の拠点として、また新府城防衛の前線として重要な役割を担っていました。
白山城跡は、標高882メートルの八頭山を背後に、白沢と八幡沢に挟まれた標高570メートルの鍋山の山頂にあり、釜無川沿いの狭い空間と広い甲府盆地が接する地点に位置しています。城跡を取り込むように北と南に尾根が延びており、その尾根が尽きる場所にそれぞれ烽火台が置かれました。
建物は残っていませんが、2カ所の烽火台をはじめ保存状態のよい遺構が現存しており、城郭史では武田氏城郭の典型例と位置づけられています。なお、本城、烽火台は併せて「白山城」として国史跡に指定されています。
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・白山城烽火台:烽火は、薪を焚いたり筒に火薬を込めたりすることで、煙を上げて敵の襲来を知らせる情報伝達手段。烽火台は見晴らしのよい小高い山の上に造られました。
戦国大名の中でも武田氏の烽火台ネットワークは有名で、府中(甲府)を中心に伝達ルートが四方に広がっていました。現在も北杜市の塩川上流域の川を挟んだ両岸に、烽火台が短い間隔で配置されている様子を見ることができます。
白山城跡の烽火台は北と南の尾根が尽きる場所にそれぞれ置かれました。北烽火台は標高602メートル、南側のムク台烽火台は標高695メートルの地点にあります。この2つの中央に白山城の本城があります。

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