機山公の碑(きざんこうのひ)

「中の棒道」に残る信玄ゆかりの石碑

1542(天文11)年、武田晴信(信玄)は諏訪盆地一帯を制圧し、この後に始まった信玄の信濃攻略は30年間の長きにわたりました。信濃攻略の前半は諏訪方面、後半は北信濃(長野盆地)。諏訪盆地に出るために使われた道のひとつが、長坂町の大井ヶ森を通る「中の棒道」といわれています。
道中にあたる白井沢の中村・菅沼地区には、信玄の別名である「機山公」の名が刻まれた江戸時代の石碑が残っています。白井沢村の人々にとって信玄が馴染み深い存在だったことが伝わってきます。
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・中の棒道:『甲斐国志』に記されている諏訪方面への古道。佐久往還から大井ヶ森へのルートは、穴山〜渋沢〜鬼坂〜建岡神社の西側〜大井ヶ森、若神子〜南新居〜白井沢中村〜白井沢菅沼〜大井ヶ森の2通りがあったといわれています。

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