赤沢宿(あかさわしゅく)

講中宿として栄えた小さな集落

早川町赤沢地区は、日蓮宗の総本山である身延山と霊場七面山を結ぶ道「身延往還」沿いにあることから、参詣者のための宿場「講中宿」として栄えました。その歴史は江戸時代にまで遡ります。徳川家康の側室お万の方の功績により七面山の女人禁制が解かれたこと、また江戸中期には講(グループによる信仰登山)が盛んになったことから、多くの参詣者が赤沢に宿を取り、旅の疲れを癒しました。明治初期には集落内34戸のうち9戸が旅籠屋を営み、参詣者を案内する強力や荷物を運ぶ荷背負い業も増えたとの記録が残っています。昭和30年代以降、道路整備や交通の便が良くなったことから、講中宿としての役割は終えましたが、往時の風情を残す建造物や街並みが残されていることから、国選定重要伝統的建造物群保存地区に登録されています。(
もっと知りたい
赤沢宿には1792(寛政4)年、1833(天保4)年の家屋をじめとする伝統的家屋が残されています。江戸時代は平入切妻屋根、草葺き屋根や笹板葺き石置屋根が一般的で、旅籠は1階建てでしたが、明治中期から大正期にかけて入母屋2階建てに改築されています。

COURSE MAP

次のスポットへ行ってみよう!